地福寺は、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ) を総本山に仰ぐ天台宗に属していますが、瑞應山地蔵院(ずいおうざんじぞういん) を山号院号としているには以上のようなわけがあります。 また寺号については地蔵菩薩は福徳円満で、人々の悩みを断ち、すべてのものを 養育し開運して、福禄寿を授け、父母が子供を養うように大地の万物を育てる 福徳があるという所から、地福寺というと記されています。 ひとくちに千年といっても地福寺の歴史は決して平坦なものではありませんでした。 末寺に満正寺(まんしょうじ)久城寺(くじょうじ)東光院、観音寺がありましたが、 現在は清瀬市の東光院があるだけです。他の末寺の中で牛房の観音寺を除いてはどこに建てられていたか、 全く分かりません。 また、境内には観音堂、千日堂、薬師堂、阿弥陀堂などがあって栄えていましたが、 薬師堂だけはどこに建っていたのか不明です。 しかも、過去幾たびか火災にあい、近しくは明治二年、十九年の火災で全部の御堂を焼失し、古文書や絵図 すべてを失ったといわれています。尊恵僧正が北枕をひるがえして生き返ったところから寺の本尊地蔵菩薩を『枕返し地蔵』 といって、江戸時代の中ごろまで近在や江戸の人々から信仰を得ていたといわれております。